『日本から中国へつないだ“命のバトン”』で知るテレビのフェイク報道‼

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タイプライターに「News」のタイプ文字

 世間ではネット情報にはデマ情報が多く、テレビ報道は信頼度が高いと思われていますが、テレビの放送内容も実はいい加減で、信用ならないものが沢山あります。
 2020年6月16日にフジテレビの情報番組『とくダネ!』で放送された『日本から中国へつないだ“命のバトン”』は、信用ならないどころか、非常に悪質な内容でした。
 番組自体も2021年3月に放送終了しているので新鮮さは欠けますが、【SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会)】に番組音声が文字起こしされているので、今回はその放送内容をもとにテレビ放送が信用ならないその好例として紹介します。

モモ&ココ
モモ&ココ

日本ではあまり知られない中国の臓器移植医療事情が、
番組でどのように伝えられていたのか辿っていきます。

中国の臓器移植医療の経緯もご参照ください。

『日本から中国へつないだ“命のバトン”』放送内容

 まずは、放送内容をかいつまんで紹介します(以下緑文字は【SMGネットワーク】からの引用文)。

『日本から中国へつないだ“命のバトン”』は、ある技能実習生として愛知県内の電子機器メーカーに勤めていた、中国籍の女性(当時24歳)が、ある日突然、巨細胞性心筋炎というきわめてまれな心臓病を患ったことから話が始まる。
 彼女は愛知県内の病院で緊急手術を受け、そこで弱った心臓のかわりに血液を全身に送り出す補助人工心臓が装着され一命を取り留める。
 しかし、未だ「補助人工心臓はあくまでも一時しのぎ。この病気には心臓そのものを取り替える心臓移植が必要」という状況であり、「日本ではドナーの数も少なく、外国人への移植の例がほとんどない。一刻を争う彼女にとって、心臓移植は現実的ではなかった」。
 そこで、日本の医師たちは「母国中国で心臓移植を受ける。中国ならすぐにドナーも見つかるはず。」と判断し、駐日中国総領事館に掛け合い、彼女の移送先「武漢市にある心臓外科の先進医療で有名な病院」が選ばれる。

 番組は、補助人工心臓が装着されたまま、彼女を中国・武漢市の病院へ移す(“命のバトン”をつなぐ)という大変困難なミッションを、しかも新型コロナウイルス感染拡大で日中双方が非常に混乱していた時期にもかかわらず、日中の医療、外交機関などが国際間の垣根を乗り越え協力し、奮闘する様をドキュメンタリー風に伝えていきます。
 最後は「満面の笑みでピースサインをする彼女。いま、中国の病室でドナーを待ち続けている。」と、移送が無事済んだことをナレーションが知らせてVTRが終わる。

取材者と出演者のやり取り

 VTRの後、司会者(故小倉智昭)が、この件を3か月以上取材してきたという医療ジャーナリストの伊藤隼也を紹介し、中国・武漢と中継が繋がったかたちで伊藤と出演者との質疑が始まる。
 以下、少し長くなるがそのやり取りの部分を引用します(赤の下線は番組が伝えた肝心な情報)。

・・・・(以下割愛)

 

中国の待機時間が短い理由

 番組ではたびたび中国は移植待機時間が短いことを伝えているが、そもそも移植臓器は、ただ見つければいいということではなく、臓器を提供してもらうレシピエントの血液型、サイズ、抗体反応、虚血許容時間など適合条件が満たされていることが必要だ。
 しかも心臓の場合、普通はドナーが脳死判定をされてから提供が可能であるのだが、いくら人口が多いとはいえ、だれもが人体に一つしかない心臓、なぜ中国は心臓移植待機期間「平均1カ月から2カ月。」が可能なのだろうか?
 

中国の臓器移植医療事情

 伊藤も「中国は(日本と違い)ドナーがすぐ見つかる」、「非常に短い待機時間(数カ月)で移植が可能だ」と歯切れよく答えているが、カズレーザーに「(日中間で)ドナーの数に差がある根本的な理由はなにか?」と訊かれ、「①日本と制度が違う・・、②人口がすごく多い、③国民の移植に対する考え方が違う・・」と急に曖昧な表現で、詳細を明かさないので視聴者はこれ以上知りようがない。

 ここから、日本ではほとんど知られていない中国の臓器移植医療について、筆者個人調べではあるが、諸資料に記されているその実態を紹介していきます。(以下、青文字は資料からの引用文)

国民の移植に対する考え方

 まず伊藤の言う「国民の移植に対する考え方」について、あのVTRの後に、「違う・・」と聞けば、「国民の理解度も高くて、臓器提供に積極的なのだろう・・・・」などと肯定的な印象をもってしまっても仕方ないだろう。
 しかし『大紀元』に掲載されている、ある臓器提供コーディネーターの経験を持つ女性(仮名:梁辛さん)のインタビュー記事(「臓器提供プログラムが強要や金銭誘惑を伴った売買」中国臓器あっせん従事者が実態暴露;臓器あっせん従事者が暴く中国の臓器提供の裏 「金で貧乏人の命を買う」)を読めばその印象は一転する。

 臓器提供コーディネーターとは重症患者およびその家族とコミュニケーションをとり、臓器提供を促し、移植希望者との橋渡し役をする職業者で、中国では2010年に臓器提供コーディネーターを用いて臓器移植産業の促進する《自主的臓器提供プログラム》が始まっている。

 梁辛さん曰く「中国では『死者を敬う』『遺体の完全性を大切にする』といった伝統的な価値観が深く根付いている」ため、ドナー候補者はほとんど、治療費を支払う経済的余裕のない、貧しい家庭の人々であったそうだ。
 これは『ウイグル人に何が起きているのか』にも、「お金をもらってもドナーになりたくない、という人のほうが多いのだ。中国の土俗信仰では、遺体に傷つけることは辱めることだとして忌避する」と紹介されている様に、実は良く知られている伝統的価値観なのである、だから故事の「死体に鞭打つ」はまさに死んでも尚、相手に凌辱を与える行為として、中国でお語り継がれているのだ。

 これがどれだけ根強いものであるか?ご理解いただくため、もう少しインタビュー内容を紹介する。
 梁辛さんたちコーディネーターは、嫌がるドナー候補者とその家族に「どうせ人はもうすぐ死ぬんだから、亡くなってしまえば、このお金はもらえないよ」と説得したり、ときには家族の中でもお金を欲しがっている者がいれば、その者と交渉・・し、同意しないほかの家族を説得させるなどの手法を使って必要な臓器を手に入れている、「その実態は強要や金銭誘惑を伴った臓器売買」であったと自らの体験を語っている。

 職業とはいえ梁辛さん自身もまた、ドナー家族の苦しめられている姿に「胸が張り裂けそうになる。」、「この業界を知れば知るほど、良心の呵責に耐えられなくなった。」と心境を訴え、このプログラム自体「表向きは慈善事業のためだが、本当はお金のためだった、」、「はっきり言えば、このような行為は、金持ちが貧乏人の命を買っていることに等しい」と証言している。

 伊藤は、この「お金をもらってもドナーになりたくない」、臓器提供どころか、体に傷つけることすら忌避するという伝統的価値観を伝えず、「違う」と曖昧な言葉を使い、誤認を誘導していた。

短期供給を可能にする特殊制度

 次は、中国の驚異のスピード供給を可能にしている「制度」について記されているものを紹介します。

1962年、中国共産党中央軍事委員会は、死刑囚および重犯罪者全ては、国家および社会主義の発展の需要に応じて取り扱うことができ、「革命の付随書」に準じて対処できると文書化。今日に至っても有効。

良心の囚人から臓器を摘出した初の事例記録は1978年10月

臓器移植濫用の経緯 – China Organ Harvest Research Cente』より

 1984年に「死刑囚遺体・臓器を利用するための暫定的規定」が施行され、身元引受人がいない、あるいは家族および本人が反対しない場合、死刑囚の臓器を医学の進歩のために利用してよい、ということになった。
 中国の臓器移植技術が飛躍的に進歩したのは、この法律が支えたからと言ってもいい。

 『ウイグル人に何が起きているのか 民族迫害の起源と現在』福島香織 著より 

 上記は、どちらも臓器供給源に死刑囚、重犯罪者を利用する「制度」のことが記されている、しかも『臓器移植濫用の経緯』には「良心の囚人から臓器を摘出した初の事例記録は1978年10月」とある。

 「良心の囚人」とは、思想・言論・信仰・人種などを理由に囚とらわれている、非暴力の囚人のこと。具体的には、中国共産党政府に反する思想を有する者、政策に批判的な言論をする者、中国家庭教会(政府の認可を受けていないキリスト教信者たち)や法輪功学習者など政府の認可を受けていない宗教信仰者、人種はチベット人、ウイグル人、モンゴル人などである。
 つまり、上記の理由で差別、迫害を受けている人々も、その「制度」の対象に加わえられていることを示しています。

 これは「日本と制度が違う」なんていう程度の説明で片づけられる問題ではない。
“国際政治学者”を名乗る三浦瑠璃が知らないはずはないはずだが、彼女から何の指摘もなされていない。
 それどころか、中国のドナーに対する考え方について訊かれたとき「ある種の合理化なんでしょうね。」と非情な発言をしている。
 「その合理化を進めすぎると命に値段をつけるという話になって、やはり日本の医療従事者の倫理観からするとちょっと、というのもあるのかもしれませんが。ただ、一人でも多くの命を救うということも大事ですからね。」と、命に差別をつけ、それを利用することが「ある種の合理化」とは、もし良心の囚人とその家族たちが聞けば嘆き、憤慨するだろう、許し難い発言である。

『血まみれの臓器狩り』が報告した国家的ジェノサイド

 もし囚人たちが強制ではなく、自らが伝統的価値観を捨て、臓器提供を望んでいるというのであれば、その「制度」も国際的な非難を免れることができたかも知れない。
 しかし、中国のいたるところで「臓器狩り」が、「良心の囚人たちの意志に反して、しかも生存中に行われている」という法輪功学習者の仰天告発を受けて調査を始めたデービッド・キルガー氏(元アジア太平洋担当国務大臣)とデービッド・マタス氏(人権弁護士)両氏の調査報告書(『戦慄の臓器狩り(2007年1月31日)』は「知りえた事情に基づき、我々は残念ながらこの告発は事実であると言う結論を下さざるを得ない。我々は法輪功学習者からの大規模な臓器収奪は今日、なお継続されていると確信する。」と結論されている。

 さらに、両氏の続報『血まみれの臓器狩り/虐殺 最新報告書(2016年6月22日)』)によると、中国における臓器移植の件数は、中国政府の公式な数字をはるかに上回っており、その膨大な量の臓器の供給源は、良心の囚人たちで、それは臓器収奪は、共産党、国家機関、医療システム、病院すべてが共謀する犯罪であるという国家的ジェノサイドが報告されているのです。

 これほどの国際問題があるにもかかわらず、番組は一切伝えないどころか、伊藤は日本と中国の臓器移植事情の違いを質問され「実際問題、中国と比べると日本はそこに関しては残念・・ですが、いわゆる十分ではない環境ですね、本当に。」と、放送事故級の問題発言までしている。
 日本でもこのようなジェノサイド制度を作り上げろとでも言うのだろうか?

モモちゃん
モモちゃん

自主的臓器提供プログラム》を開始したのは、良心の囚人を供給源としていることや、臓器の強制摘出・売買していることから国際社会の目を逸らさせて、批判をかわすためではとの指摘もあります。

合理化が進んだ中国社会の実態

 そもそも、臓器提供はドナー本人の意思の確認、家族の承諾など非常に複雑なプロセスが必要であることはもちろん、社会全体の倫理観、死生観に影響を及ぼす問題であり、扱い方によっては人道問題にも発展しかねない非常にデリケートな問題です。

 例えば日本では、1968年に札幌医科大学の和田寿郎による初の心臓移植が行われており、これは手術自体が失敗(レシピエントの死亡)したこともあるのだが、そもそも手術する必要があったのかなどを追求され、「和田心臓移植事件」と称される刑事告発事件にまで発展しており、
 この事件がもとで臓器移植医療へのつよい疑念を生むことになり、日本で再び心臓移植が開始されるのは1999年、実に31年という大きな遅滞を招くことになってしまった。

 この様な慎重な姿勢が正しいのだとまで言わないが、しかし尊厳を無視し、「ある種の合理化」を進めていった中国が、非常に凄惨で醜い狂乱状態を招いてしまったことを最後に紹介しておきます。

 1984年の《死刑囚遺体・臓器を利用するための暫定的規定》により、死刑囚の臓器利用が合法化された中国では、公然と臓器売買が行われ、収奪された臓器は移植希望者はもちろんだが、高値で売却されたため移植医療機関までが奪い合うという、もはや“臓器”は人格が取り払われた”売買品”として取り扱われることとなる。
 中国の臓器移植医療は、今日では海外からの“臓器移植ツアー”も受け入れるという、「外貨獲得産業」にまで発展しています。

 死刑判決を下す立場の司法当局もまた、その利権を利用し「地方司法当局は賄賂目当てで、最高裁(最高人民法院)の審査を得ずして地方裁判所が勝手に死刑判決を出す」、ついには「死刑にする必要のない人にまで死刑判決を乱発する」始末。

 “臓器ビジネス”の熱狂は収容所内に留まらず、やがて市井にまで広がり「子供が突然失踪して帰ってきたときは腎臓が1つ抜かれていた、という事件や、臓器や眼球が奪われたバラバラ遺体が発見される、という事件は地方でけっこう報じられている。」という非常に凄惨で醜い狂乱状態まで招いてしまう。

 中国共産党政府はこれを鎮静化させるため、2007年に《人体臓器移植条例》(①臓器の売買は禁止し、無償であり、かつドナー本人の意思が明確であること、②生体肝移植は配偶者、3親等内の血縁関係があること、③外国人に臓器を提供しないこと)施行という対応に迫られたことを『ウイグル人に何が起きているのか』は記しています。

まとめ

 これだけ知れば、VTRに登場したあの女性には、一体どのような経緯で得られた心臓が移植されたのだろう・・・・とおぞましくさえ思えてきます。

今回は、私たちのほとんど知らない中国の臓器移植医療という分野でしたが、詳しく調べてみれば、テレビがこれほどまでいい加減な報道をしていたことがお分かりいただけたと思います。

 よくもこんな問題だらけの実態を一切表に出さず“感動ストーリー”にすり替えてた番組を放送したものだ、私たちが疎いことに乗じて、ダマせると思ったのでしょうか?
本当に視聴者を愚弄しているとしか思えない内容でしたが、テレビ放送なんてこんなものです。
彼らは「ネットの情報はデマばかりだ」と非難こそすれ、自分たちはこのような番組を恥とも思わず放送しており、現実は彼らの情報を疑わず、信じた視聴者が悪いということです。
 これをきっかけにテレビ情報を疑ってみてください。

モモ&ココ
モモ&ココ

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

中国の臓器移植医療の経緯 

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